2011年10月27日

魔女の宅急便


 多摩の川沿いに天台宗のお寺があり、その境内にポン池と名付けられたがあった。
その由来は毎年六月に咲く蓮の花が開く時ポン、ポンと音がして生い茂った杉の木に木霊して心が清まるとの噂が広まり何時しかポン池と呼ぶようになったらしい。
確かに一反もあろうかと思われる池全体蓮が生え水面が見えないくらいだ。
早朝参詣して蓮の音を聞くと、家族無病の御利益があると言われ、時期になれば隣村からも大勢訪れる。
ほんのり甘い香りの蓮のみを子供たちは好んで食べる。「美味である」
しかし不思議な事にこの池には小魚が一匹もいない、蛙も、ザリガニもいない。
蓮だけが生息している。雑草も生えていない。
十三年前一人の村人が蓮根を取ろうと試みたが、底なし沼みたいに体が沈んでやっとの思いで抜け出した話を聴いた。
この時命綱を装着していなかったら確実に池の中に消えていたと村人は言う。
それから池の周りに柵を作り、十三年前の出来事を事細かく記載した看板を立てたとの事だ。
今は看板の文字を読み取る事は難しいが池の辺に立っている。
 
 この話は一人の児童が蓮の花を家に持ち帰った時から始まったのです。
この池を知るものなら蓮の花を取る事は無いが、たまたまお寺の前を通った自家用車がパンクがきっかけである。
千葉ナンバー車には、石川洋子と良夫が乗っていた。洋子は以前にもタイヤ交換したことがあるので助けを借りる必要はなくトランクから道具を取り出した。
良夫は一人で玉石を蹴りながら境内に向かった。
「良夫、遠くに行ってはダメよ」石川洋子が良夫の背を見ながら言った。
良夫は振り向いて「わかった」と一言言って奥に向かった。
タイヤ交換はニ十五分で終わった。
洋子は良夫を探しに境内に向かおうとした時、鳥居の裏から両手に一本づつ蓮の花を持って現れた。
「お母さん、綺麗でしょ」と自慢げに差し出した。
「ほんとに綺麗ネエ」と言って車に戻ろうとした。
「お母さん、もう少し休んで行こうよ」と動こうとしない。
「早く帰らないと勝浦迄帰れないでしょ」と言いながら、良夫の腕をつかんで車に乗せた。
良夫は坊主頭に眼鏡を掛けていて誰が見ても賢そうに見える小学四年生である。
二人を乗せた車が勝浦に着いた時は午後四時を過ぎていた。
良夫の家の後ろは海で海女さんの姿も見る事が出来るが、今は昔ほどの姿を見る事が出来ない。
海の近くと言う事もあって良夫の顔は黒いほうで、それに眼鏡の奥から見える目は大きく輝いていた。
良夫の持ってきた蓮の花は仏壇の前に置かれた机の上に置かれた二つの花瓶に飾られ何時も甘い香りを漂わせていた。
不思議な事に良夫の持ってきた蓮の花は八月を過ぎても枯れることは無かったが、良夫の生気が薄れていくのを感じられた。
病院に行き検査しても何処も悪いところ無いと言う。
或る日、母石川洋子が夜中に目が覚めた。
仏壇の置かれた部屋に電気が点いているので覗くと、良夫が両手に花瓶を持って立っている姿があった。
「母さん、花が無い」と泣きながら良夫が尋ねた。
「花が枯れたので海に捨てた」母は何も無かったかのように良夫に言った。
良夫は海に向かって走った。青ざめた顔をして、靴も履かずに走った。
その日から十三日がたってから良夫が帰って来た。
浜辺に打ち上げられていたのだ。
両手に一本づつ蓮の花を持って。
良夫の顔は歳をとっていた。髪の毛にも白いものが混じっていた。

又、六月がやってきた。
ポン池の周りは大勢の人で賑わっていた。
ポン、ポン静まり返った池から今年も蓮の花が開く音が木霊した。
「この蓮の花変だぞ」一人の村人が言った。
それを聞いた村人が集まってきた。
開いた蓮の花に丸い模様が二つ並んでいた。
一人の子供が「眼鏡みたい」と呟いた。
何処からと無く「そうだ、そうだ」と囁かれた。
その日を境にポン池の眼鏡蓮と呼ばれ六月になると大勢の人が他県からも訪れるようになったとの事である。




Posted by zinzin at 09:53│Comments(0)
 
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