2006年06月27日

斜眼帯を付けた金魚(3)

斜眼帯を付けた金魚(3)
その(3)
首都高速横羽線を眼下にみながら吉田橋を渡ると、馬車道に通じるが、この橋も昔は誰もが自由に行き出来なかったのだ。
ガス燈を見ながら、赤煉瓦の歩道を歩く気分は、言葉で伝える事は難しい。こればかりは、是非貴方も自分で経験して欲しい。
 「私みたいに履き下ろしのウォーキングシューズを履いて...」  横浜は、文明の先端を行った町で、日本で最初の物が数多くあり、今では夏冬口にすることが出来るアイスクリームの発祥地もここ横浜だ。
「太陽の母子」のブロンズ像とアイスクリームとの関係は、私には分からない。
 暫し歩くと、左手に旧銀行を改造して建造された県立博物館を、学習の場として多くの県民が訪れている。
馬車道側から絨毯を敷いて在る階段を上り、真鍮の縦長い取っ手を軽く押して中にはいると、四五歳位の婦人の声が、劇場の切符売り場に似た格子戸の奥から聞こえた。
横浜正金銀行の面影を残している板張りの床が、63㎏の私をギシギシ音を立てて迎えてくれた。
 民俗展示室のフロアーで、中学生と思えるグループが手帳に何やらメモリながら、目の前に置かれて有る円つこ「名称は東北地方の言葉であり丸い形の藁で造られた赤ちゃんのベット」を見ながら話していた時、一言と思ったが、言葉が喉元で止まったのは、発想の面白さに耳を傾けたからである。
薄暗い通路に沿って行くと、小休憩している初老夫婦が、神奈川県立博物館のパンフレットを見つめながら寄り添っている姿が、活動写真の一場面を思わせていた。
「旅立ちを決心する時も、決心させられる時も、一度自分から離れてみてみたいものだ。
時には、時を忘れ晩秋の夕暮れに文庫本を片手にしている少女のように身動き一つせずに。」
「過去を語るのは簡単だ。過去を決めるのは、自分がこの世に生を受けてからの一番古い
記憶が決めるのだ。」 「自分には、記憶がないと笑っている人間には、世界が半分しか見えていないのだ」
 潮の薫りに誘われて万国橋を渡ると、新港町赤レンガ倉庫2棟、1号と2号だ。
周りが鎖で囲まれて触れる事が不可能なのに、手の届く所は落書きでレンガの色が見えない。鎖はただ無造作に、ポール間を繋いでいるだけなので、誰でも入ってもいいのである。
無理に股を広げれば跨げると思ったが、自分の脚を見てすぐ判断がついた。他にも方法がある事を。
倉庫は、明治、大正に建設されたもので、70余年潮風にさらされたレンガの色が、哀愁を漂わせていた。
誰もいない倉庫で、荷揚げに使用されていたの思える1.2号合わせて5台のエレベーターが疲れを癒していた。
新港橋を渡り終えた所で、自分の上辺ばかりの知識に気がつき愕然とした。眼下にあるのは、間違いなく鉄道の線路だ。横浜関税から私の靴の下を通り山下公園に向かっている。線路の続いてる先に向かって走ろうと思ったが、体力と、気力の落ち込みがそれを拒んだ。
「知識には限界がある。方向を変えよう、そして見直そう原点に返って、くよくよしても始まらない。人生に袋小路なんか絶対にないのだから。」
 横浜開港記念会館を右手に関内駅に向かっていると、外国人が道を尋ねているのが目についた。どうやら元町への道順を聞いているらしい。
私に語学力があれば、と思うだけなら誰にも出来る訳だ。 ここから元町までは、異国情諸溢れる横浜中華街を通り15分位かな...
元町と言えば日本のパン屋発祥の所だ。中華街の華やかさに比べ元町は、貴婦人の街と言っても誰もが納得するだろう。
納得できない人は、一度脚を運んで欲しい。どの店も間口が同じで整然と貴方を迎えてくれるから。



Posted by zinzin at 11:33│Comments(4)
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チャイナタウンの夜【横浜夜景ブログ】at 2006年08月10日 16:33
 
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