2006年08月31日

斜眼帯を付けた金魚(其の4)


倉庫は、明治、大正に建設されたもので、70余年潮風にさらされたレンガの色が、哀愁を漂わせていた。
誰もいない倉庫で、荷揚げに使用されていたの思える1.2号合わせて5台のエレベーターが疲れを癒していた。
新港橋を渡り終えた所で、自分の上辺ばかりの知識に気がつき愕然とした。眼下にあるのは、間違いなく鉄道の線路だ。横浜関税から私の靴の下を通り山下公園に向かっている。線路の続いてる先に向かって走ろうと思ったが、体力と、気力の落ち込みがそれを拒んだ。
「知識には限界がある。方向を変えよう、そして見直そう原点に返って、くよくよしても始まらない。人生に袋小路なんか絶対にないのだから。」
 横浜開港記念会館を右手に関内駅に向かっていると、外国人が道を尋ねているのが目についた。どうやら元町への道順を聞いているらしい。
私に語学力があれば、と思うだけなら誰にも出来る訳だ。 ここから元町までは、異国情諸溢れる横浜中華街を通り15分位かな...
元町と言えば日本のパン屋発祥の所だ。中華街の華やかさに比べ元町は、貴婦人の街と言っても誰もが納得するだろう。
納得できない人は、一度脚を運んで欲しい。どの店も間口が同じで整然と貴方を迎えてくれるから。
関内駅の階段を途中まで上った所で、新聞を片手に二人の男が、興奮気味に話している声が聞こえた。
天皇賞レースで、大本命のオグリキャップが惨敗したとの事だ。 オグリキャップは、11月25日に行われたジャパンカップレース(G1)でも、ファンの期待に答える事が出来ず、引退の声も囁かれるようになっていた。
 私が再び桜木町を訪れたのは、暮れも押し迫った12月23日、その日はいつもと違い二日酔い気味だが歩幅が広く感じられた。
私は、ジンクスを信じないが、素敵な貴方の夢を叶える為、伊勢佐木町に行く道順を二つ向こうの交差点を左に曲がる事にした。
大岡川に浮かぶ屋形船の提灯に書かれた文字を眼鏡の上側から見てから、私は橋の名前『黄金橋』を見て暫し体の震えが続いた。
『オグリ』『オグリ』のコールを聞いたのは、それから2時間後の事であった。  


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2006年08月30日

斜眼帯を付けた金魚(其の3)


「太陽の母子」のブロンズ像とアイスクリームとの関係は、私には分からない。
 暫し歩くと、左手に旧銀行を改造して建造された県立博物館を、学習の場として多くの県民が訪れている。
馬車道側から絨毯を敷いて在る階段を上り、真鍮の縦長い取っ手を軽く押して中にはいると、四五歳位の婦人の声が、劇場の切符売り場に似た格子戸の奥から聞こえた。
横浜正金銀行の面影を残している板張りの床が、63㎏の私をギシギシ音を立てて迎えてくれた。
 民俗展示室のフロアーで、中学生と思えるグループが手帳に何やらメモリながら、目の前に置かれて有る円つこ「名称は東北地方の言葉であり丸い形の藁で造られた赤ちゃんのベット」を見ながら話していた時、一言と思ったが、言葉が喉元で止まったのは、発想の面白さに耳を傾けたからである。
薄暗い通路に沿って行くと、小休憩している初老夫婦が、神奈川県立博物館のパンフレットを見つめながら寄り添っている姿が、活動写真の一場面を思わせていた。
「旅立ちを決心する時も、決心させられる時も、一度自分から離れてみてみたいものだ。
時には、時を忘れ晩秋の夕暮れに文庫本を片手にしている少女のように身動き一つせずに。」
「過去を語るのは簡単だ。過去を決めるのは、自分がこの世に生を受けてからの一番古い
記憶が決めるのだ。」 「自分には、記憶がないと笑っている人間には、世界が半分しか見えていないのだ」
 潮の薫りに誘われて万国橋を渡ると、新港町赤レンガ倉庫2棟、1号と2号だ。
周りが鎖で囲まれて触れる事が不可能なのに、手の届く所は落書きでレンガの色が見えない。鎖はただ無造作に、ポール間を繋いでいるだけなので、誰でも入ってもいいのである。
無理に股を広げれば跨げると思ったが、自分の脚を見てすぐ判断がついた。他にも方法がある事を。  


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2006年08月29日

斜眼帯を付けた金魚(其の2)


動物園通りの小高い山頂の公園からは、横浜スタジアムと港が手に取るように見える。この動物園通りの両側に佛具店が多く密集している訳は何だろう。不思議だ...
JRで来たのに目の前に又JR、目頭を押さえてもう一度見直しとJRA、中央競馬会場外発売所横浜ウィンズ5階建ビル、人が多いはずだ。
10月28日は、東京競馬場で天皇賞レース(G1)があり、勝馬投票券を買い求める人が集まっているからだ。
地方競馬から中央入りした「オグリキャップ号」が人気があるらしい。 私が、「オグリキャップ」の名を知ったのは、某デーパートで、緑の覆面をした馬のヌイグルミが、10番オグリキャップと小さく書いてたのを記憶していたからである。
 長者橋を渡り五分も歩くと、イセザキモールの歩道が目にはいる。 伊勢佐木町の繁栄を語るには、明治初めの文明開化に逆上らねばならない。
横浜で伊勢佐木町が繁栄したのは、見世物興行地区に指定された事にあるらしい。
牛鍋を遊廓帰りに食わなければ文明人で無い、と言った町。 芝居と共に栄えた伊勢佐木町も一時は、横浜西口に客足を奪われたが、終日歩行者天国のイセザキモール商店街の改革、電線の地下設置、敷石、歩道の植え込み、からくり時計等で、再び栄えたのは、時代を先取りした商店街の心意気だろう。
 首都高速横羽線を眼下にみながら吉田橋を渡ると、馬車道に通じるが、この橋も昔は誰もが自由に行き出来なかったのだ。
ガス燈を見ながら、赤煉瓦の歩道を歩く気分は、言葉で伝える事は難しい。こればかりは、是非貴方も自分で経験して欲しい。
 「私みたいに履き下ろしのウォーキングシューズを履いて...」  横浜は、文明の先端を行った町で、日本で最初の物が数多くあり、今では夏冬口にすることが出来るアイスクリームの発祥地もここ横浜だ。  


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